花のこと

綿の歴史

クリスマスシーズンになると花屋にもコットンフラワーが店頭に並ぶようになります。

水が要らずドライの状態で飾るので、手軽で手間もかからないことからクリスマスシーズンでは人気。もふもふの形状をしたコットンフラワー。花屋では乾燥したイスラエル産のコットンが多く、クリスマスツリーやリースのオーナメントとして活躍してくれる魅惑の花材です。

このコットンフラワー(綿花)は人間の歴史には欠かせない重要な作物です。今日はそんな綿の歴史を書いていこうと思います。

名前コットンフワラー、綿、綿花
科・属アオイ科・ワタ属
花言葉「優秀」 「繊細」 「偉大」 「崇高」 「有用な」 「私を包んで」
原産地アメリカ、中央アジア

Contents

衣服としての素材

今までの人間の衣服といえば植物の葉っぱから始まり動物の皮や羊毛へと変わっていきました。綿の発見は今まで衣服の素材を作るのには植物の硬い繊維を取ったり、動物と戦って皮を取ったり、絹に関しては原料の蚕を育てるために餌の桑の木を別に育てたりしないといけなかった。しかしワタは今までとは違いもふもふした柔らかな繊維が既にできた状態で採取することができたのです。

産業革命の立役者

綿織物はインドが盛んでした、イギリスはインドから綿を輸入し綿織物を生産していましたがたちまち人気になり、織物の生産が追いつかなくなってしまいました。ここで登場したのが「飛び杼」という道具でした。布を織るためには緯糸を通さないといけませんが布が大きくなると一人で緯糸を通すのは困難になります。しかしこの飛び杼があれば一人で素早く緯糸を通すことができるようになりました。次に糸を紡ぐ紡績機の開発も行われ、作業効率が飛躍的に向上することに成功したちまち工場は大きくなり。18世紀になると蒸気機関の出現で、これらの作業が機械化され大量生産が可能になっていきました。この機械科の導入と大量生産ができることから産業革命となったのです。

綿の繁栄と影

綿織物はさらに需要が高くなり綿の生産が必須でした。綿は暖かいところが原産でしたので寒いヨーロッパでは生産ができませんでした。そのため新天地のアメリカで生産されるようになりました。この当時のアメリカは主にタバコを生産していましたが、タバコは嗜好品のため需要が安定せず、それと比べて綿織物は需要もあり安定していたためとても魅力的な農作物でした。しかしアメリカは広い農場ができるが労働力不足で綿の生産はとげがあるワタの部分を手作業で取るのはとても重労働でした。そこでアフリカから奴隷を連れてきて綿の生産をさせました。このおかげでアメリカは繁栄し多くの黒人奴隷が犠牲になりました。

綿のまとめ

綿の発展は人間にとっては重要な存在になりました。身を守る衣服からファッションを手軽に楽しむこともできるようになり、綿は文明を発展させ今も重要な農産物であり続けてます。中央アジアの湖であるアラル海は綿花の生産で水を使用し続けたことで、現在では湖ごと消滅の危機に晒されるようになりました。綿は人間の欲望で生存範囲を広げ環境をも変えたという歴史も知っておくことも大事だと感じました。